村重 勝也さん
神戸から移住してきた村重さん。学生時代のボーイスカウトの経験が、外遊びの原点。大人になってからも、子どもたちを連れて北海道に来てキャンプをしていたそう。「神戸に住んでいても心はずっと北海道にあったから、ギャップや苦労は感じなかったですね。(笑)」
青函連絡船に乗ってきた日、北海道に恋をした。
村重勝也さんが長沼町に引っ越してきたのは2016年4月、57歳のときのこと。長年勤めた教職を早期退職し、町役場の職員の採用面接を受けました。「中高生の頃、ボーイスカウトの活動に取り組んでいました。その大会が千歳市で開かれたとき、初めて北海道に来たんです」。村重少年にとって、青函連絡船に揺られて辿りついた北海道の風景は、忘れられない思い出として心の奥深くに焼き付いたのだそう。「ずーっと好きでした」。まるで懐かしい恋人の話をするかのように語ってくれた村重さん。学校を卒業しても、結婚して子どもが生まれても、その感動は小さな灯火のようにいつも心の隅にあり続け、次第に「いつか北海道に住む」というはっきりとした夢となりました。「定年を過ぎたら(移住しても)いいかな、と思っていた」。結局は定年よりも3年早く、早期退職という道を選び、妻と娘と共に移住を果たすことになります。
移住先候補として長沼が挙がったのは、まったくの偶然でした。移住するならまずは住む場所と仕事が必要だからと転職サイトを見ていたところ、長沼町の求人に行き当たったと言います。採用職種は、「社会教育指導員」。子どもたちや高齢者向けの生涯教育を担当する部署でした。教員として高校生の教育に当たってきた村重さんでしたが、「実は教育とは違う仕事をしてみたいという思いもあったんです」。そんな思いも含めて役場の担当者に相談したところ、地域おこし協力隊として働かないかと声がかかった。「起業のための準備ができるということや、隊員として町の人に会ってたくさん話ができることが魅力でした」。
幌内地区に購入した自宅の庭には、桜の木が。庭仕事や畑仕事も、日々の楽しみのひとつ。
“潜在的生きづらさ”を解消する手助けをしたい。
協力隊員としての村重さんの仕事は、町内に暮らす高齢者向けの勉強会である豊生大学の運営や、町の人にインタビューをして広報の記事をまとめること。3年間の任期を終えて、2019年春からは正式に社会教育指導員として学校帰りの子どもたちを受け入れる放課後子ども教室の運営にも携わっています。
「長沼に来る前は神戸で教員をしていました。高校生を受け持っていると、彼らが感じている“生きづらさ”が伝わってくるのを感じていました」。夢を描いて都会に出て、潜在的に生きづらさを感じながらも、そこから抜け出せずにいる人が多いのではないか。村重さんはそんなふうに思っています。「環境を変えたいけど一歩踏み出せずにいる人に、『やってみたら、意外とできるものだよ』と伝えたい。私にもできたんですから。お金儲けはできないかもしれないけれど、丁寧に暮らすことは可能だと思うんですよ」。
高齢者向けの豊生大学のプログラム、世代間交流講座として行われた高校生との座談会の様子。村重さんが進行を務めています。
経験を積み重ねながら考える、次なる展開。
移住希望者や、今の暮らしに疑問を感じる人を受け入れて相談に乗ってあげられる場所。民間としてそんな場所を作るのが、村重さんが今温めている構想です。
行政の移住相談窓口だけでは手が回らない、移住後のアフターフォローの部分を担う存在の必要性は、自身も移住者として各地で家探しや職探しをする中で気がついたこと。移住前の生活体験中や実際に暮らし始めた後に、困りごとを気軽に相談したり、知識を伝え合ったりできる場。教育者としても、移住者の先輩としても、できることがあるのではないかと考え始めています。
地域住民に向けての高齢者大学や放課後こども教室に取り組む中でも、根本にある思いは「誰にとっても、生きづらさを感じずに暮らせる環境を作りたい」ということ。
「私は協力隊という肩書をもらうことで、人とのつながりが作れたので、恵まれていました。ゼロから積み上げる場合、知らない土地になじむのって簡単ではないと思うんです。だから、手助けをしたい」。
子どもの頃から、“選びとる強さ”を培って。
「若い人たちには、やりたいことを自分で選びとる強さを持ってもらいたい」。移住前に村重さんが勤めていた高校は、単位制を導入していました。生徒が「自分が何を学ぶか」を選び、成長していくスタイル。今の日本では珍しいカリキュラムですが、考える力を養うには絶好の環境です。
「いま、自分は何をして生きるのか」。それを選びとる習慣を身に付けるのは、早ければ早いほどいい。長沼町内に設置が検討されている私立小学校「ゆきのさと自由が丘学園」の取り組みに賛同しているのも、小学生であろうと、やりたいことやするべきことを自ら選びとる強さを持ってほしいと思っているからなのです。