武山 敬二さん
千葉県我孫子市出身。大学進学を機に北海道へ。在学中に珈琲の師匠に出会い、25歳のときに札幌で5坪ほどの店を出す。6年後、長沼町に移住。それから31年余り、丘の上で珈琲を焙煎し続けてきた。3人の子どもは独立し、現在は妻と2人暮らし。
移住希望者が集まる集落で、助け合いながら生活しています
長沼の街から車で10分ほど。丘の上から臨む景色の雄大さ、中でも夕陽の美しさは感動すら覚えます。丘の上珈琲は「馬追の丘」にある喫茶店。武山さんが引っ越してきた1989年当時は、地区全体で家が5軒、水道は通っていなかったといいます。携帯電話が通じたのも数年前。自然豊かだけれど少しだけ不便だったこの地区に、今は50軒もの家が建っています。
配達ドライバーが道を尋ねたり、噂を聞きつけた移住希望者の拠りどころになったり、丘の上珈琲は一帯の案内所としての役割も果たしています。誰に対しても親切な武山さん。その理由について少し悩んだのちに教えてくれたのは、「28年前に自分が来たとき、優しくしてもらったから。私も新しくやってくる人に対していろいろ教えることができるのだと思う」と話してくれました。
妥協のない豆の選別。口コミで広がった評判。
「好きな仕事が嫌にならないように。そう考えて選んだ場所が長沼でした」。札幌市内で珈琲店を経営していましたが、焙煎作業の音が周囲に迷惑をかけていないか気になり始めたのが移住のきっかけ。長沼町の友人の紹介で今の場所が見つかり、移住を決めました。
「開店した頃はお客さんが毎日0、1、0、1という感じ」と武山さん。コーヒー豆の選別作業。発酵豆、黒豆、石などを一粒ずつていねいに取り除き、妥協なく選別した豆で作った珈琲は透明度が高く、嫌味や渋みが最小限に仕上がっています。3年を越えたあたりで口コミで広がり、現在は一日の客が20人だったり、100人だったり。波はありますが珈琲を求めて恵庭、千歳、苫小牧、本州からも訪れる人がいるのだとか。丘の上の珈琲と人には、不思議な引力がある。
丘の上の珈琲と人に、不思議な引力がある
武山さんには3人の子どもがいます。「いつ『田舎は嫌だ!都会がいい!』と言われるかと思っていました(笑)」。泥だらけになって遊んで育った3人。34歳になる長女は家族を連れて丘の上珈琲の近所に引っ越してきました。孫に会える機会も増えてうれしそうな武山さん。しかも長女は珈琲豆の焼き方に興味を示しているとか。移住者の家族が同じ土地に住み、家の歴史を紡いでいく。あえて選んで戻ってきてくれるのは、町にとっても喜ばしいことと言えるでしょう。
ここは作られた別荘地ではありません。人が引き寄せられて家を建て、また違う人が引き寄せられる場所。丘の上珈琲の珈琲もまた、そのような不思議な魅力を持っています。飲みやすく、喉にすぐに消えてなくなるけれど「あれ?」という感覚が残る。「また飲みたい」。「あの味が忘れられない」。「もう他の珈琲は飲めない」。そんな風に話すという常連さんの気持ちがわかる気がします。武山さんの珈琲は、長沼の町と同じように、どこか人々の心に留まる引力を持っているのです。